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犬とカウボーイ <後編>

 
 

 小川の流れる谷の底に、塗装が剥がれ、あちこち錆の浮いたブリキの箱のようなトレーラー・ハウスがあった。
「早く入れ!」
 カウボーイに急き立てられ、透(とおる)は車から飛び下りてトレーラー・ハウスに駆け込んだ。空に向かって一吠えした黒い犬が飛び込んでくるのを待って、カウボーイはドアーを閉めた。犬とカウボーイは寝起きを共にしているらしい。
 窓ガラスに、土や砂の粒子が当たってバチバチ音を立てる。ドアーを閉めると風の音は小さくなったが、地中に根を下ろしていないトレーラー・ハウスは、うねりに弄ばれる小舟のように揺れた。
「小1時間もすれば静かになる」
 カウボーイは右手だけで器用にコーヒーを淹れ、名を名乗ってから自分の身の上話を始めた。
 マックス・ヒューストンと名乗ったカウボーイはテキサスの生まれで、祖父はテキサスレンジャーの1人、父親も生粋のカウボーイだったという。アメリカ陸軍の特殊部隊、グリーンベレーの一員としてベトナムや中米に行ったことがあるというから、齢は50歳前後だろう。透が聞いていようがいまいがお構いなしにマックスはよく喋ったが、左目と左腕を失ったいきさつについては触れなかった。
「この牧場に雇われたのが半年前だ。それまではコロラドやアリゾナで砂金を採ったりしていて、この10年間はベッドで寝たことがなかった」
「ここに落ち着くんですか?」
 透が訊くと、マックスの声のトーンが低くなった。
「ここだけの話だが、この牧場にも長居する気はないんだ。古いダチ公と、ホースバックトレッキングのツアーを始めるんだよ。町の連中を馬に乗せて遊ばせる商売だ。そいつがうまくいったら、いつか自分の牧場を持つ。牛じゃなくて、馬を育てる牧場だ。落ち着くのは、その時がきたらだな」
 マックスは遠くを見ていた。
 気がつくと風の音が小さくなっていた。家の揺れも収まった。呟きのようなマックスの一言が聞こえた。
「それまでは流れ続けるさ・・・」
 外に出ると、空には雲ひとつなかった。風が塵芥を吹き飛ばしたのか、大気は冷たく澄んでいる。
「たった一度の人生だ。ちんまり落ち着くなよ」
 それが、マックスの別れの言葉だった。
 日没まで走り、メキシコ国境近くのモーテルに部屋をとった。フリーウェイに近いモーテルで、道行く車たちの風切り音が夜中になっても途切れない。
今日よりマシな明日を捜して、誰もが流れ続けている。夢を追って、誰もが旅を続けている。
 ──俺は、今どこにいて、そしてどこに向かおうとしているのか・・・。
 夜を駆け抜けてゆく車たちの音を聞きながら、透は1人、スプリングの軋むベッドの上に転がっていた。体は疲れていたが、寝入るまでにはずい分と時間がかかった。

終わり