100枚の絵ハガキ Back  
   
     

小さな背中 <後編>

 
 

 少年は14、5歳、女の子は7、8歳だろうか。女の子は少年の細い胴にしがみつき、少年は、身を硬くする女の子の小さな肩をきつく抱いている。2人は兄妹なのかもしれない。
 ロックしていない車を捜して潜り込んだのだろう。何か盗まれる替わりに、とんだお荷物を背負い込んでしまったというわけだ。
「大丈夫だよ、怖がらなくて。国境警備隊に知らせたりしないから」
 そう言うと、少年の体から少し力が抜けた。英語が分かるらしい。
「どこへ行くつもりなんだ?」
「パームスプリング」
 小さな声だが、しかし、しっかりした英語で少年は答えた。
 パームスプリングの農場で働く父親の所へ行きたいらしい。仕事を求めてアメリカへ密入国した父親が音信不通になり、一緒に帰りを待っていた母親が病気で死んだから2人で父親を捜しに来たという。それしか方法はないのだと、切羽詰まった黒い瞳は訴えていた。
 透は予定していたルートを変え、息を潜める2人を乗せたままパームスプリングに向かって北上した。厄介に巻き込まれたくはなかったが、何故か、そうしなくてはいけないと思った。
 夜を徹して車を走らせた。幸い、誰の目にも止まることはなかった。東の空に仄かな光が生まれた時、透は人気のない空地に車を止めた。
「ここからなら、パームスプリングまで歩いてもすぐだ」
 そう言われて、少年と女の子は素直に車から降りた。2人は、汗と埃で煮しまったようなTシャツを着ていた。女の子のスニーカーは擦り切れて穴が開き、可愛い親指が覗いている。
「お父さんがいる農場の名前は知っているのか?」
 訊くと、少年は無言で頷いた。
「お父さんが見つかるといいな」
 言いながら、小さく折り畳んだ10ドル札を2枚、汗ばんだ褐色の掌に握らせた。
 少年は始め驚いたような目をしたが、すぐに透を正面から見上げ、短く、そしてしっかりと言った。
「グラシアス」
 少年は女の子の手を取り、踵を返して歩き始めた。ペタペタと地べたを踏む音が静寂の中に聞こえる。
 その時、何かが透を突き動かした。透は車の中のバッグから慌ててカメラを取り出し、メインスイッチを入れて構えた。
 写真を撮りたいという衝動だった。ここ数年忘れていた、熱い想いだった。
 遠くなってゆく2つの背中に焦点を合わせ、透は続けてシャッターを切った。夢中で写真を撮った。
 幼いが、しかし毅然とした2つの背中は、未明の冷気の中にやがて吸い込まれていった。
「うまくやれよ・・・」
 透は声に出さないで言った。もう、誰もいなかった。フィルムを巻き戻すモーター音だけが聞こえた。

 ロスに戻り、旅を始める時に寄ったカフェに顔を出した。不穏な風は、もう治まっていた。
「旅はどうだった?」
 あの時と同じ、髭面のウェイターが馴れ馴れしく訊いてきた。
「中々、面白かったよ」
 透は、原野を行く旅を思い出している。
 ブリキのバッヂ1つのために、無人の砂漠を走り続ける老ライダー。何百年かかるか分からない理想の町づくりのために汗する、アーコサンティの若者たち。ささやかな夢のために流れ続けるカウボーイ。そして、生きるために国境を越えてきた幼い密入国者の兄妹・・・。みな、必死に生きていた。懸命に走っていた。原野に生きる人々が、透の何かを少しだけ変えようとしている。
「あんたの言ったとおりだったよ」
 透が言うと、ウェイターはきょとんとした顔になった。
「サンタアナの風に吹かれると、みんなおかしくなるって言ったろ」
 意味が分からないのか、ウェイターはいかつい肩を竦めて店の中に戻っていった。
 風が突然吹き抜けて、パームツリーがザワザワと揺れた。

終わり