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草の国 <後編>

 
 

「あなたは自分の国が好きか?」
 アブドゥが、また単刀直入に訊いてきた。
「好きなところも嫌いなところもあるから、一口じゃあ言えないな」
 勇造は曖昧な笑みを浮かべて答をはぐらかし、さっきと同じ手で、また訊き返した。
「あなたはどうなんだ?自分の国が好きか?」
「私は、国というものを意識したことがない」
 アブドゥの黒い瞳の中で焚き火の炎が揺れている。
「しかし、あなたたちカザフの人々も、中華人民共和国という国のれっきとした国民だろ」
「それは、私たちとは直接関係ないことだ」
 素っ気なく言ってから、アブドゥは言葉を繋いだ。
「私たちに必要なのは草と水だ。草と水を求め、季節の移り変わりに合わせて私たちは旅をする。 私たちは馬や羊と共に生きる。草や水を求めて旅をする。それが、私たちの生き方だ。
私たちは、自分の生き方を生きる。他人から押しつけられた価値観や、時代の流れといった類のものには興味がない。昔からそう生きてきたし、今も、そしてこれからもそう生きてゆくだろう。私たちの国は、私たちの中にあるのだ」
 黒い瞳に正面から見据えられて、勇造はどんな言葉を返していいのか分からなかった。
 馬を駆って羊を追い、草と水を求めて旅する遊牧民の共同体を、「史記」では「行国(こうこく)」と名づけている。行く国と書いて「行国」。国そのものが移動してゆくという考え方である。

 休暇を取ってから5日が経ち、勇造はアブドゥと別れて天山山脈を越える帰路についた。
 荒れた土の道の先に、1人の老人が忽然と現れた。杖をついた老人は、数十頭の羊を後ろに従えている。
 老人は馬と勇造に少しも驚かず、毅然として大地に立っている。背筋の伸びた老人は、ジェスチャーで自分の匂(パオ)に勇造を誘った。茶でも飲んで休んでゆけと言いたいらしい。
 旅する者を労(ねぎら)い、もてなすことは遊牧の民にとって当たり前のことなのだ。それがたとえ初対面の、遠い国から来た名も知らぬ者であっても。
 勇造は老人の誘いを丁重に辞退し、馬の腹に鐙を当てて山を下った。老人は何事もなかったかのように羊たちを従え、飄々と歩いて山の中に消えた。
 山は静かだった。高い空の下に、風に波打つ緑の稜線が彼方まで続いている。
 ──私たちの国は、私たちの中にある・・・。
 勇造は、焚き火の向こう側から聞こえたアブドゥの言葉を思い出していた。