100枚の絵ハガキ Back  
   
     

遥かなるアンデス <後編>

 
 

 暗くなると猛烈に寒くなった。谷から吹き上げてくる風は切るように冷たく、外にいると骨の髄まで凍ってしまいそうになる。空には満天の星だが、そんなものを眺めている余裕はない。
 車の中に逃げ込み、エンジンをかけてヒーターをつけた。体が温まってくると緊張が解れ、目蓋が重くなってきた。
「戻ったよ」
 エミリオの声で目が覚めた。腕時計の針は午前0時少し前を指している。5時間近く眠ってしまったらしい。
 エミリオが、80キロ先の町から連れてきたというメカニックのペドロと、その息子を紹介した。
 ペドロは40歳前後、息子は12、3歳だろうか。乗ってきた車は錆びた鉄の箱のようだし、薄っぺらなナイロンのジャンパーを着た親子は痩せていて、風に飛ばされてしまいそうに心もとない。この調子では期待できないなと、洋一は声にならない溜め息をついた。
 ペドロが持ってきたナットは、どれも径の大きさが合わなかった。ボルトの大きさに対して、穴の径が小さいか大きすぎるかなのだ。案の定、このメカニックでは駄目だと思った時、それまで一言も喋らなかったペドロが洋一に訊いた。
「缶ビールか、缶ジュースを持ってるか?」
 妙なことを訊くと思った。喉が渇いているのだろうか。
「コーラならあるけど」
「アルミの缶なら、何でもいい」
 コーラの缶を渡すとペドロは栓を開けて中身を捨て、金切りバサミで缶を切って細長いアルミの板を何枚か作った。ペドロは短冊状になったアルミ片をボルトに巻きつけて太くし、穴の径の大きいナットをそこに捻じ込んでいった。
 黙々と仕事する父親の手元を、息子の懐中電灯がしっかりと照らす。柔らかいアルミは潰れてネジ山を埋め、ナットはしっかりと締めつけられていった。
 見事な仕事だった。知恵と技術を持ったメカニックだった。
「こんな手があるとは知らなかった。助かったよ」
 洋一は素直に感動していた。
「ものがない時は、頭を使うしかない」
 ペドロは淡々と言った。そんな父親を、息子が誇らし気に見上げている。
 20ドルの工賃に、ガソリンの実費分を上乗せして支払った。ペドロは申し訳なさそうな顔で礼を言い、息子と一緒にオンボロ車で帰っていった。あの車で夜のアンデスを走るのだから、家まで4時間はかかるだろう。
「ボリビアのメカニックも捨てたもんじゃないでしょ」
 エミリオは自慢気に言い、車に乗ってミュージックテープをデッキに滑り込ませた。スピーカーから明るいフォルクローレが流れる。
「ラ・パスまで、もうひとっ走り!」
 エミリオの声に肩を叩かれたように、漆黒の闇の中を車は静かに走り始めた。
 タフな土地にはタフな人間が生きている。アンデスの底なしの闇の中にいて、しかし洋一は少しも恐くなかった。

終わり