100枚の絵ハガキ Back  
   
     

滾る血 <後編>

 
 

 「ティエンタ」が終わり、藤堂とパブロは豪奢な母屋でシェリー酒とチーズのもてなしを受けた。
 牧場の経営は、家長の長男、マルティンが引き継いでいたが、生憎留守だったために、その妻、アナと家長のペレスが2人の相手をした。アナは、グロリア・エステファンとミレーヌ・ドモンジョを足して2で割ったような美人だった。美しいだけでなく中々のインテリで、気も強い。そんなアナと家長のペレスが、ひょんなことから「スペイン内戦」のことでぶつかった。
「コミュニスト共はすべてを滅茶苦茶にした。フランコも間違いは犯したが、あれは必要悪だ。この国を正常な状態に戻すためには仕方がなかったんだ」
 大牧場主の家系であり、父親の親類がフランコの友人でもあったという家長のペレスは当然フランコの肩を持つ。そんな家に嫁いだアナだが、しかし自分の思想信条については一歩も退かない。
「フランコはすべてを破壊したのよ。貧しかったスペインを救ったと言うけど、あなたたちは昔から広い土地を独占し、何人もの使用人を使って牛を食べていたじゃない」
 孤立無援で名家に嫁いだ1人の女が、客の前で家長を堂々と批判する。家長の方も負けてはおらず、それに対してまた言い返す。
 「スペイン人が政治の話を始めたらきりがない」とは聞いていたが、そのとおり。嫁と家長は、藤堂とパブロがいることも忘れて論争を続けた。

 論争にひと区切りがついて、ペレスとパブロは商談のために別室に移った。応接室に、アナと藤堂の2人だけが残される。家長がいなくなると、アナの顔から険が消えた。改めて見ると、確かに美人だ。ウェイブした栗色の髪に潤んだ瞳。シェリーで上気した頬に触れる、長い銀のイヤリングが涼しい。
「旦那も、若い頃は闘牛士だったの」
 藤堂を前に、アナが喋り始めた。難しいスペイン語は分からないが、意味を察することくらいはできる。
 アナは数年前までテレビ局のキャスターで、取材で知り合った闘牛士のマルティンと恋に落ち、結婚してこの家の嫁になったらしい。育ちのいい、美男と美女のハッピーなお話かよとうんざりしかけた藤堂を、アナは意味あり気な目で見つめた。
「結婚したら、旦那はちっとも優しくないのよ。話といえば、牛と商売のことばかり。さっきも電話があって、仕事が長引いて帰りは明日の夜になるって。・・・あなた、今日は泊まっていけないの?」
 藤堂はどきまぎし、曖昧に笑って答を誤魔化した。実際、スペイン語でどう答えていいのか分からなかった。
「俺も、もう少しスペイン語ができたらな・・・」
 バックミラーの中で遠去ってゆく牧場を見ながら藤堂が呟くと、ハンドルを握るパブロが前を見たまま言った。
「スペイン語ができなくてよかったんです。あの色っぽい人妻と妙なことになったら、藤堂さんは今日の牛みたいにされてしまいますよ」
 パブロが静かに言うので、かえってゾッとした。滾る血とつき合うには覚悟がいる。

終わり