100枚の絵ハガキ Back  
   
     

ゴミと宝石<後編>

 
 

「トシ!」
 大きな黒い瞳の少女が、いきなり抱きついてきた。
「ヨランダか 」
「そうよ」
「大きくなったな。いくつになった?」
「11歳」
 だぶだぶのTシャツにショートパンツのヨランダは、得意気に胸を張った。
 敏男が初めてスモーキー・マウンテンに足を踏み入れた年の夏に、掘っ建て小屋の床の上でヨランダは産まれた。スラムの中で新しい生命(いのち)が産まれる瞬間と出会った時の感動は今でも忘れない。敏男は、ヨランダの成長を見ながら六年間をマニラで生きた。4歳からゴミ拾いをしていた泣き虫のヨランダも、今では気丈そうな少女に成長していた。
「家に来て!」
 手を取られ、引っ張られた。何も変わっていないなと、敏男は改めて思った。初めてスラムに来た時もそうだった。家へ来い、休んでゆけ、食事をしてゆけと誰もが誘う。貧しく、その日の食べものにもこと欠くような人々が人をもてなそうとする。自分の分を減らしてまで人に分け与えようとする貧者の志が、初めの内はどうしても理解できなかった。もしかすると、今でも本当には理解できていないのかもしれない。
「お父さんとお母さんは?」
「お母さんは町に働きに行っている」
「仕事があってよかったな」
「毎日じゃないけど、時々洗濯屋で働いているの」
 敏男はヨランダに手を引かれてスラムの雑踏の中を歩いてゆく。ヨランダは、敏男の手を離そうとしない。ぷっくりした小さな掌から少女の体温が伝わってくる。
「お父さんはどうしてる?」
「去年、死んじゃった」
 ヨランダはさらりと言った。敏男は言葉に詰まった。
「お酒の飲みすぎで、お腹の中がただれちゃったんだって」
 スラムでは、生と死が日常の中に転がっている。生命の誕生と死をまのあたりにしながら、人は成長してゆくのだ。
「トシが日本に帰った後で、お母さん、3人子供産んだよ」
「じゃあ、ヨランダもお姉さん役で大変だな」
「大変だよ。一番下なんて、まだ1歳にもなっていないんだから」
 ヨランダの上に2人いるから、子供は全部で6人。母親が働きに行っている間はヨランダが下の子たちの世話をしているのだろう。
「トシは結婚したの?」
「いや、まだだよ」
「駄目じゃない。どうして結婚しないの?」
「相手がいないんだよ」
「日本の女の人、見る目がないのね」
 11歳の少女の台詞とは思えないが、ヨランダが言うと妙に納得できた。
 長屋のような仮設住宅の奥から、火のついたような子供の泣き声が聞こえてきた。
「あ、また泣いてる!」
 一番下の子が泣いているらしかった。ヨランダが走り出した。敏男はヨランダに手を引かれたまま、懐かしい匂いのするスラムの奥へ入っていった。

終わり