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最後の旅 <前編>

 
 

マイアミのダウンタウンを出て1号線を南に下る。アメリカ合衆国最南端の島、キーウェストまで続く、海上の道。道は南へ170キロ連なる数百の島々−−フロリダ・キーズを繋ぎ、やがてキーウェストに辿り着いてからターコイズ・ブルーのメキシコ湾に消える。
 まっすぐな白い道が、緩やかなカーブを描いて広がる海の中心に分け入った。洋介 (ようすけ)はフロリダ・キーズの最初の島、キー・ラーゴで1号線から下り、ココ椰子やバンヤンの茂みに隠れて息を潜めるような小さな入江に戻った。
 グッディに頼まれたマイアミでの雑用を片づけるのに、2日かかってしまった。洋介は錆だらけのピックアップから下り、白いモーター・クルーザーが舳先を並べて舫 (もや)われた入江の奥へ歩いた。海からの風が緑と潮の匂いを運ぶ。インディゴ・ブルーの水を湛えた入江は眠ったように静かだ。
 おかしなことに、グッディの船がそこになかった。トローリングやダイビングの客の予約も入っていないはずなのに、グッディの船は海に出ているらしかった。
 −−どこへ行ったんだ・・・。
 洋介の中に、ある予感がフと立ちあがった。

 洋介が初めてグッディと出会ったのも、今と同じ、夕陽に世界のすべてがオレンジ色に輝く少し前の時間帯だった。海から帰ったばかりらしい白い船から、小柄な老人がアイスボックスを抱えて下りてきた。アイスボックスはとても重そうで、老人の足元はおぼつかなかった。
「手伝いましょうか」
 洋介は思わず声をかけていた。
「ありがたい。助かるよ」
 陽と風に晒されて灼けた赤銅色の顔に、白い口髭が光っていた。体は小さいが胸は厚い。それが、ポーランド系移民の老船長、キャプテン・グッディだった。
「どこから来た?」
「日本からです」
「そうか、日本人か。・・・懐かしいな。ずい分昔の話だが、日本の港にも何度か行ったことがあるよ。日本人の船乗りにも何人か友だちがいた。漁師やら、貨物船の甲板長やらな。・・・みんな、いい連中だったよ」
 トローリングやダイビングの客を乗せて海に出る小船の船長、グッディと意気投合した洋介が、力仕事を手伝う替りに船のキャビンで寝泊まりさせてもらうようになって2カ月近くが経っている。
「グッディは行ってしまったわよ」
 入江の奥の小さな店から、主人のアニーが出てきた。「アニーのタグボート」という名の店は、入江を塒(ねぐら)にする海の男たちや釣り客相手の雑貨屋兼カフェだ。グッディと洋介の食事の面倒もアニーが見ていた。
「どこへ行ったんですか?」
「知らないわ。多分、もっと南の海へ行ったんでしょ」
 アニーは肩を竦め、そして続けた。
「うっかりしていたんだけど、一昨日(おととい)がグッディの80歳の誕生日だったのよ。まったく頑固な爺さんよね」
 アニーが言いたいことの意味はすぐに分かった。
 80歳になったら最後の旅に出ると、グッディは言っていた。そう言った時の、少年のような瞳の輝きをアニーも洋介もよく覚えている。老船長は言葉どおり、自分の死に場所を捜す最後の旅に出たのだった。

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