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最後の旅 <後編>

 
 

 毎晩、船の上やアニーの店の片隅でグッディの話を聞いた。時には、母親が好きだったというポーランド民謡やポルカをアコーディオンで弾くこともあった。
 ポーランド系移民の農夫だった父と母の苦労。17歳で貨物船に乗った、生まれて初めての旅。船会社を転々とし、船を乗り替えては旅を重ねた青春時代の武勇伝。海での冒険、戦争体験、女との出会いと別れ・・・。それは、自分の人生を自分で切り拓いた男の、誰も知らないささやかな、しかし充分に波瀾万丈な物語だった。
「出ていったのは、昨日の夜中だったみたい。最初からそのつもりだったのね。だから、あなたをマイアミに行かせたのよ。今朝起きたら、店の前に封筒とダンボールの箱が置いてあったの。封筒には、百ドル札が10枚と、私宛の手紙が入っていたわ。そんなつもりじゃなかったのに、世話になったささやかなお返しだって書いてあったわ」
 アニーは呆れたような顔で言ってから、テラスの丸テーブルの上の小さなダンボール箱を指差した。
「その箱は、あなたに残していったみたいよ」
 箱の中には、ボロボロになった海図やシーナイフ、珊瑚の欠片や妙な形の貝殻が雑然と詰め込まれていて、蓋の裏側にボールペンでこう書かれてあった。

「親愛なるヨウスケへ−−。
 黙って出発することを許してくれ。別れの涙とかが苦手でな。
 あんたに、儂が生きてきた時間の欠片を置いてゆく。
 ガラクタだが、儂にとっては一つ一つが思い出深い品だ。
 それらにまつわるエピソードは、いくつかあんたにも話した
 と思う。邪魔だったら捨ててくれ。
 人生は長いようで短い。
 あんたにも自分のガラクタがこれから増えてゆくだろうが、
 それを誰かに託す日もいずれ来る。
 元気で、よい旅を−−。
 キャプテン・グッディ」

 太陽が西の海に接し、世界のすべてがオレンジ色に輝き始めた。
「若い頃は夕陽が嫌いだった。すべてが終わり、すべてが闇に閉ざされるような気がしてな」
 洋介は、グッディの呟きを思い出した。
「しかし、本当は夕陽こそが美しい。それは終わりではなく、何かの始まりを告げているんだ。朝陽は眩しいだけだよ」
 皺の中で青い瞳が笑っている。赤銅色の顔に白い口髭が光っている。
「あなたも、グッディみたいな生き方をしたいと思っているんでしょ」
 洋介を覗き込んだアニーの顔もオレンジ色に染まっている。
 熟れた柿のような太陽が、陽炎に歪みながら海の中に落ちてゆく。入江は一瞬緋(ひ)色に染まり、やがて金色に輝き始めた。
 入江の奥の、細い水路の先にカリブの海が広がっている。針路を東にとれば大西洋、西南にとればパナマ運河を抜けて太平洋。いずれにしても、グッディが死に場所を決めた南の海へと通じている。
 太陽が海に没し、少しして淡い闇が舞い降りてきた。入り江に小魚の群が跳ね、それを狙って鳥が水面を掠める。
 アニーと洋介は、黙って水路の先を見ていた。海から渡ってくる風の中に、温かいくせにどこか淋し気なアコーディオンの音色が聞こえた。

終わり