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バナナの香りのする汗 <前編>

 
 

 少女は、今日も1人で縄跳びをしていた。8歳で、名はアマンダという。午前中は学校に行っているらしく姿を見かけないが、夕方近くになるといつも1人で縄跳びをしている。
 高木(たかぎ)が微笑むとアマンダも笑った。そして得意気に、胸を反らせて縄を飛ぶ。近くの石垣に高木が腰を下ろすとアマンダは縄跳びを止めて小走りにやってき、その脇にちょこんと座った。黒い額にうっすら汗が光り、早いピッチの呼吸音が小さく聞こえる。
 高木が、バナナの買いつけのためにこの村に来て5日が経った。商談がまとまり、明日にはパナマシティに戻る。そして数日後、日本に帰国する。こんな村、死ぬまでに二度と来ることはないだろう。そう思うと、隣に座るアマンダが何だか急にいとおしくなった。
 北米大陸と南米大陸をかろうじて繋ぐ、腸のように細く捩れたダリエン地峡。パナマの首都、パナマシティから荒れた道を260キロ南下したジャングルの中に孤立するヤビサで道は終わり、その先には南米コロンビアまで道なき湿地帯が広がる。
 北米大陸最南端の村、ヤビサは、水分をたっぷり含んだ熱気の澱む集落だった。先住インディオのクナ族、コロンビア側から流れたきた黒人、それにパナマ人が渾然として生きるヤビサには驚くほど子供が多く、その殆どがアマンダのように黒光りする肌の子供たちだ。
 雨季に備えた高床式の粗末な家並み、日陰でドミノに興じる男たち、泥水の川を行き交うバナナを積んだカヌー、泳いだりサッカーボールを追って遊ぶ子供たち、ジャングルを分けてパトロールする迷彩服にマシンガンの国境警備兵・・・。北米大陸というより、ダリエン地峡の自然と風物はすでに南米のそれだ。コロンビアやベネズエラ、あるいはブラジル・アマゾンの空気に近い。実際、1903年まではこの地はコロンビア領だった。
 高木は煙草に火をつけた。パナマ煙草の甘い香りが口の中に広がる。そんな高木を見上げるアマンダの唇の端が笑っている。無口な娘(こ)だが、顔はいつも笑っている。その無邪気な笑みには、人をなごませる不思議な力がある。だから隣に座り、何も言葉を交わさずにいても気にならない。アマンダは当たり前のように高木の隣にちょこんと座っている。
 陽が傾いて熱帯雨林にかかり、空がオレンジ色に広がって川が金色に輝き始めた。陽が沈んでから暗くなるまでの約20分間−−マジックアワーと呼ばれる、世界が最も美しい光を放つ時間がもうすぐ始まる。
 生温かい風が川から吹いてきた。風の中に、隣に座るアマンダの匂いをフッと感じた。それは、バナナの香りのする汗の匂いだった。

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