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空にいる友 <後編>

 
 

「今度は長かったのね」
 吉井(よしい)の姉が淹れるコーヒーの香ばしい匂いが家の中に広がる。吉井はコーヒーと煙草が好きだった。倒れて以降さすがに酒は飲まなくなったが、コーヒーと煙草は最後まで楽しんだ。自分の指で煙草が挟めなくなった後も、姉や友人や教え子たちに助けられて煙草を吸った。桂田も、吉井の口に煙草を銜えさせてやったことが何度もある。
「丸々4カ月かかりました。大陸を縦断する旅ですからね。アフリカは大きいですよ」
桂田(かつらだ)は、アフリカ大陸を縦断する長い旅から1週間前に帰ってきた。桂田は、テレビ・ドキュメンタリーのディレクターだ。仕事柄、旅が多い。そんな桂田の仕事を、吉井は心の底から羨ましがっていた。桂田は、長い旅の後には必ず吉井に報告に来る。不思議だが、そうしないと旅が終わった気がしないのだ。
 姉の淹れてくれたコーヒーを2杯飲み、煙草を吸いながらアフリカの旅でのエピソードをいくつか話す内に窓の外が暗くなってきた。
「そろそろ失礼します」
 桂田は席を立ち、奥の部屋に入った。写真の中で吉井が笑っている。桂田は煙草に火をつけ、それを写真の前の灰皿に置いた。揺れながら立ち昇る煙を吉井がうまそうに吸っている。また来るな、と声には出さずに言い、桂田は部屋から出た。
「気をつけて」
 姉の言葉に頷き、バイクに跨る。
「また来ます」
 ヘルメットの中でそう言い、桂田は静かにバイクを発進させた。バックミラーの中で、雑木林に囲まれた家が闇に溶けてゆく。
 138号線に出、中央自動車道の河口湖ランプに向かう。地平線のあたりはまだ仄明るく、空にも微かな青みが残っている。夜空より黒い富士山の影の脇に、銀色の盆のような月がのほほんと浮いている。
 切るように冷たい風。誰もいない道。闇を照らすヘッドライト・・・。頭上の月が吉井の顔に見えた。吉井が冷たい風を切って1人走る桂田を見守っている。
 桂田は、今年53歳になった。生きていれば吉井も同じ齢だ。お前の分まで旅をするから心配するなと、桂田は月を見上げて言った。空にいる友が笑ったように見えた。

終わり