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水の道 <後編>

 
 

 3日目の朝、間の抜けたような汽笛で目が覚めた。熱帯雨林の中に孤立した淋しい集落の港に船は停まり、上半身裸の人夫たちが乗り込んできて船倉の荷を降ろす。荷を運ぶ人夫たちの動きは俊敏で、チョコレート色の筋肉を纏(まと)ったジャガーのように見える。
 下甲板の食堂に下り、子供たちに遠慮してテーブルの隅に座った。食事は子供が優先というルールはモレイラが決めたらしい。マーガリンを塗った乾パンのようなビスケットを囓り、歯が溶けそうなくらい甘いミルクコーヒーを啜っていると、目の前に、男を誘うような目の一人旅の女が座った。
 女は、朝には似合わない目つきで遠山を見る。本人にそんなつもりはないのかもしれないが、誰がどう見ても男を誘っている風にしか見えない。遠山は内心ドギマギしながら、曖昧な笑みを返して誤魔化した。
 昨日の夜、女は、入れ墨の2人組の内の1人と踊っていた。下半身を擦り合わせる、殆どセックスそのもののようなダンスだった。2人がその後どうなったのか、遠山は知らない。皆が寝静まった後、船の片隅で本当にセックスしたのか、単にダンスを楽しんだだけなのか知る術もない。いずれにせよ、女は何事もなかったような顔で遠山の前に座っている。
 息が苦しくなるような熱帯雨林を分けて延びてゆく水の道。川幅が少し狭くなったことを除いて、3日経っても風景は何も変わらない。確かに船は前に進んでいるはずなのに、ずっと同じ場所に止まっているように錯覚する。それほどにアマゾン流域世界は茫漠としていて掴みどころがない。モレイラが言ったように、こんな世界に点々として生きる人々の暮らしは、水の道と、そこを行き来する船なしには成り立たないだろう。
 午後のスコールが過ぎ、夕食が終わって、またサンバが流れた。一人旅の女は、今夜は別の男と踊り始めた。やはり、セックスそのもののようなダンスだ。
 2時間ほどで船上のささやかなパーティは終わり、客たちは各々自分のハンモックに潜り込んだ。重いエンジン音と水切り音以外に聞こえるのは、むずがる赤ん坊の泣き声だけになった。
 深夜になって、船はスピードを落として岸の方へ舳先を向けた。トイレに起きたついでに操舵室を覗くと、パンツ1枚のモレイラが1人で舵を取っていた。
「こんな所に村か何かあるのか?」
「客が1人下りる」
 眠いのを我慢しているせいか、モレイラは不機嫌だった。
 船は静かに接岸した。船から下りたのは、妖し気な一人旅の女だった。右手に大きなスポーツバッグを下げた女は振り向き、モレイラに手を振ってから歩き始めた。水辺まで闇より黒い熱帯雨林の量感が迫り、あたりには小さな灯一つない。
「20キロほど奥に開拓村があるんだ。村といっても、2、3軒が集まっている程度のもんだがな」
「彼女、そこまで歩いてゆくのか?」
「20キロなんて屁でもないさ。それに、あと3時間もすれば夜が明ける」
 闇の中に、熱帯雨林の中へ入ってゆく女の白い服だけがボッと浮いている。白い服は幻のように揺れ、小さくなり、そして消えた。男と見れば色目を使うような女が、何だか急にいとおしくなった。
「明日はポルトベージョだ」
 モレイラが、少し嬉しそうな顔をした。
 船は岸から離れ、再び銀色に輝く水の道を進み始めた。

終わり