100枚の絵ハガキ   Next
   
     

夜と蠍(サソリ) <前編>

 
 

 右手に広がる水平線に太陽が沈み、轟と吼えて空が緋色に燃えあがった。すぐに舞い降りてくる闇の前の、一瞬の光の断末魔。
 なんという色、なんという高さ、なんという広がり・・・。砂を蹴り、風を切っているバイクと自分も緋色に染まっている。この広大な原野に一人いて、自分の存在の、なんとちっぽけなことか。
 「兎の岬」を意味するプンタ・コネホから30キロ南の海岸線。スタートした町、エンセナーダからここまで、戸田(とだ)は1500キロのオフロードを走ってきた。ゴールの港町、ラ・パスまではあと100キロ。タイムリミットまで3時間はあるから、時間内完走はまず間違いない。
 休もうと自分に言い聞かせ、戸田はバイクを止めた。レース中だがここで数分休んだからといって結果に大差はない。どうせ端から、記録や順位とは無縁のレースを続けてきたのだ。今回だって、速い者たちはとうにゴールしている。そんなことより、この瞬間の光と色を目に灼きつけ、風景からの無言のメッセージを体に染み込ませておきたい。
 エンジンを切ると静寂に押し込まれた。微かに聞こえる波の音と自分の呼吸音が、圧迫してくるような静けさをかえって際立たせる。
 メキシコ、バハ・カリフォルニア半島。メキシコ人たちが畏怖の念を込めて「悪魔の半島」と呼ぶ、全長1800キロの原野。時間から取り残され、原始の生態系をそのままに残した半島を一気に駆け抜けるオフロードレース、「BAJA(バハ)1000」に初めてエントリーしたのが1984年。その時36歳だった戸田が、今では53歳だ。17年の間に幾度もエントリーし、その度に痛い目に遭い、しかし性懲りもなく幾度もここに戻ってきた。
 戸田はバイクに跨ったままジャグの水を飲み、煙草に火をつけた。空の光が見る間に色を失い、仄い闇と共に冷気が下りてくる。すぐに、ガラスの粉を撒き散らしたような幾万もの星が天空を埋めるだろう。
 ミスコースしてビバークした時の、あの途方もなく長くて暗い夜の不安。太陽に炙られながら、出口を捜して歩き続けた時の喉の乾きと絶望。無人の原野に1人置かれた時の、自分の存在を丸ごと否定されるような恐怖・・・。
 浮かんでくるのは、何故か、苦しかったり、恐かったりした場面ばかりだ。戸田は原野に散々痛めつけられてきた。圧倒的なその力を舐めていたせいで死にかけたこともある。
 しかしそれでも、戸田は幾度もここに戻ってきた。何故そうしてきたのか、未だにうまく説明ができない。

Next