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最悪の国境 <前編>

 
 

 西アフリカ、モーリタニアの首都、ヌアクショット。面倒な客が部屋に収まってくれて、やっと自分の時間ができた。閑散としたホテルのレストランで、冷たいビールを飲みながら束の間の解放感を楽しむ。明日は、たった1人の客を連れて国境を越えねばならない。
 9月11日のテロ以降、旅行業界は極端に冷え込んでしまった。特に、辺境やイスラム圏への旅が専門の神崎(かんざき)の旅行社などは痛手が大きい。だから、例え客が1人の仕事でもおろそかにはできない。
 客は、医者だった夫に先立たれてからあちこち旅するようになった72歳の老婦人で、旅行会社ではこの類の旅行者を「カントリーハンター」と呼ぶ。どれだけの国々を旅したか、イミグレのスタンプがパスポートにいくつ押されているかを自慢するような連中で、もてあました金と暇を海外旅行に注ぎ込む。もちろん、そんなものが本当の旅であるわけはないのだが、目的のためには金に糸目をつけない彼らは上客中の上客。特に、今のような御時世では大切にしなくてはならない。
「老人の御守 (おもり) も大変だね」
 隣のテーブルに座った白人が、同情するような声をかけてきた。つたない英語から察するにフランス人だろう。神崎が、老婦人をあれこれ世話する姿を見ていたらしい。
「大切なお客様だからな」
 神崎は自嘲気味に応えた。
「家族じゃないのか」
 驚くフランス人に、自分の仕事と、自分と老婦人との関係を説明する。それに応えて、フランス人も自己紹介した。
 名は、ファビアン。齢は30そこそこだろう。ウェイブした金髪が涼しい、中々の男前だ。
 フランスで買ったプジョーやベンツの中古車でサハラ砂漠を越え、西アフリカのどこかで売っ払うことを仕事にしているという。旅と冒険と仕事が一緒くたになったような暮らしが気に入っていて、道行くアフリカの旅は10回以上経験しているらしい。馴れ馴れしいが怪しい男ではなさそうだ。20年ツアーコンダクターをやっていれば、その程度に人を見る目は養われる。
「長い旅なのか?」
 赤ワインを舐めてからファビアンが訊いてきた。
「あと5日間だ。明日、国境を越えてセネガルに入り、首都のダカールに2日いてから日本に帰る。忙しくて何も見られやしないが、そういう旅がお望みのお客様でね」
「陸路で、この国からセネガルに入ったことはあるのか?」
 ファビアンの目が真剣になった。
「実は、このルートは初めてなんだ」
「モーリタニアの国境は手強いぞ」
 意味深長な言い方が引っかかった。
「何か問題があるのか?」
「問題だらけだよ。いや、何が問題なのかも実はよく分からない。俺は、今までに8回モーリタニアとセネガルの国境を越えたけど、ただの1回も愉快な気分になったことはないね」
 ファビアンは、肩を竦めてからワインを舐めた。

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