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最悪の国境 <後編>

 
 

 翌朝早くに、ファビアンの車でホテルを後にした。昨夜の話を聞いている内に不安になり、一緒に国境を越えてくれないかと神崎の方から頼み込んだのだ。越境に馴れているファビアンが一緒なら心強い。ファビアンの方も話し相手が欲しかったらしく、ガソリン代を負担してくれるならと快諾してくれた。
 ヌアクショットの中心から15分も走ると家並みはまばらになり、日干しレンガの家が砂に呑み込まれ始める。広がり続け、ひたひたと押し寄せてくるサハラの音が聞こえてきそうだ。植えられた草や灌木も、赤ん坊の産毛のように弱々しい。いずれ、この国は砂の海に沈んでしまうのだろうか。
 果てしなく続く砂のうねりを越えて南へ200キロ走り、モーリタニア側の国境に着いた時は昼近かった。
 車から降りた途端、レスラーのような男たちに取り囲まれた。男たちは口々に喚き散らし、ファビアンと神崎の体を押したり、小突いたりする。
 私服の黒人もいれば軍服のムーア人もいる。誰が何の仕事をしているのか、誰が責任者で誰が使い走りかさえ分からない。ともかく、1人1人が勝手に喚き、怒鳴り散らす。
 逆らうなと、ファビアンが目で神崎に言う。恐怖に身を硬くした老婦人は、子供のように神崎にへばりついている。
 今までにも、越境の時に理不尽な思いをしたり腹が立ったことは幾度もあるが。しかしここの混乱は度を越している。腹が立つより前に、黒光りする大男たちの眼光と汗の臭いに恐怖を感じる。
 剥ぎ取るように持ってゆかれたパスポートがあちこちたらい回しにされ、何人もの男が自分に金を払えと言う。中には、仕事を取り合って仲間同士で怒鳴り合っている奴もいる。秩序は皆無で、出国手続きの内容もさっぱり説明されない。その内に、まるで収容所に入れられる捕虜のような気分になってくる。
 ファビアンは表情を変えず、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っている。車の輸出証明証が破られたりしても、決して怒ったりはしない。逆らわず、無秩序な混乱にじっと耐えること──それが極意なのだろう。
 出国手続きの列に並ぶこと、1時間。別棟の税関で、さらに1時間。意味不明の3000ウギア(約2000円)を払って解放された時にはへとへとになっていた。いつもはエネルギッシュな老婦人も怯え切っている。一刻も早くここから脱出して日本に帰りたい気分だろう。
「さっさと行こう。長居は無用だ」
 ファビアンに促され、逃げるように車に乗り込む。
 オフィスの外には、越境しようとする人々が山のように群がっている。気の弱そうな人々を、私服や軍服の男たちが脅したり小突いたりしている。中には、家畜を追い払うように木の枝で人を叩いている男もいる。何という国境だ。
 車を貧相なフェリーボートに乗せ、国境の川、セネガル川を渡る。
「貴重なスタンプを押してもらって、彼女も満足だろう」
 ファビアンが、車から降りようとしない老婦人の方を見てニヤリと笑った。ウェイブした金髪が川を渡る風に泳いでいる。
 向こう岸の、セネガル側の国境が近づいてくる。そこでは、一体どんな世界が待っているのだろうか・・・。
「ようこそ、ブラックアフリカへ!」
 神崎の不安を面白がるように、ファビアンがウィンクした。

終わり