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再会の山 <前編>

 
 

 木洩れ日の熱を背中に感じながら林道を上ってゆく。山は、瑞々しい緑の匂いに満ちている。まだ4月なのに暑いくらいだ。エンデューロジャケットの下は汗ばんでいる。「地球の温暖化」などという言葉はどこか他人事だが、この国の気候が狂い始めていることは実感できる。特に今年の温かさは異常だ。
 相川(あいかわ)が、週末に1人で山を走るようになって5年になる。名も知らぬ林道を走り、適当なキャンプサイトを見つけて静かな一夜を過ごす習慣は、40歳まで続けてきた仕事を辞めた年の春から始まった。
 相川は芸能界の人間だった。歌手やタレントのマネージャーとして15年間走り回り、その後はプロデューサー的な仕事も任された。刺激的だが疲れる世界だった。身も心も削って働いて、しかし、いつも虚しさがつきまとう仕事だった。
 40歳で、きっぱり芸能界から身を引いた。端からは唐突に見えたかもしれないが、相川にしてみれば考えた末の選択だった。このままずるずるいって、一体何が残る? 時代に振り回され、メディアに使い捨てられるだけの人生じゃないか・・・。まだ間に合うと自分に言い聞かせ、第二の人生を歩み始めたのが5年前だった。
 野辺山から八ヶ岳へ向かう初めての林道だった。春先の林道は、陽の当たらない路面がまだぬかるんでいた。ブラインドカーブの先に深そうな水溜まりが現れ、思わずブレーキをかけたがリアーが滑って転倒してしまった。
 右半身が泥だらけになり、どこかで洗い流したかった。2キロほど進むと、右手の雑木林の奥にくすんだ赤い色の屋根が見えた。細いトレイルが林道から分かれ、雑木林を分けて家の方へ延びている。
 トレイルは林道よりぬかるんでいた。相川はバイクから下り、ぬかるんだ土を踏んで家の方へ歩いた。
 ペンキの剥げかかった赤いトタン屋根の、雑木に隠れて息を潜めるような家だった。家の脇の草むらに、姐さんかむりの女と1人の男の子がかがんでいた。相川の足音を聞き、女が振り向いて立ち上がった。
「すいませんが、水を使わせてもらえませんか」
 立ち止まり、驚かさないように気をつかって声をかけた。女は、鳩が豆鉄砲を喰らったような目で相川を見ている。
「相川さん?」
 聞き取れないような声で女が言った。その目は相川の顔に貼りついたまま動かない。
「江梨子?」
 化粧っ気のない姐さんかむりの女が、6年前に突然失踪したタレント、麻生江梨子(あそうえりこ)だと気がつくまでに少し時間がかかった。

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