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老人の見る夢 <後編>

 
 

「大変だったが、充実した日々だったよ。フィデルやチェはもちろんだが、私たちも、それこそ昼も夜もなく働いた。この小さな島国を、何とかまともな国にしようと必死だったんだ。それから43年。時間はあっという間に過ぎて、私は80歳だ。しかし後悔は何もないね。良き友人たちといつも一緒だったし、私は私の人生を確かに生きたのだから」
 自分のことについては始終穏やかに話すのだが、人生を共に生きた友人たちを語る時には熱が入る。
「フィデル・カストロやチェ・ゲバラを伝説化したり神格化するのはおかしい。彼らも1人の生身の男だよ。ただ、人間としてのスケールが並の男とはちょっと違うけどね。知力と体力、それに理想を求め続ける頑固さにおいて、あんなにパワフルな男たちはいない。あんな男たちは、多分もう二度と現れないだろうね。彼らに較べれば、私なんか平々凡々としたものだよ」
 いやいやとんでもない、あなたの人生だって充分に波瀾万丈で、とても並の男にできることではありませんと言うと、グラナドスは少しはにかんだように目を細めてラムを舐めた。
 2時間に及ぶインタヴューが終わると、少し泳ぐと言ってグラナドスは席を立った。足元がおぼつかないので、馬渕(まぶち)が付き添って2人でビーチに出た。
 泳ぐといっても、それは水浴に近いものだった。子供たちに混ざり、生ぬるい海にプカプカと浮いているのだ。
 15分ほどすると海から上がり、木陰のビーチベッドに俯せに横たわった。そして、ゆったりとしたリズムの、静かな寝息を立て始めた。
 大学時代は学生運動で投獄され、ゲバラと共にオンボロバイクで壮大な旅をし、母国を捨ててベネズエラで医者になり、さらにはその成功を捨ててキューバ建国に駆けつけた男、アルベルト・グラナドス。今ここで静かな寝息を立てている品の良い老人が、それほど波瀾万丈の人生を生きた男だと誰が思うだろう。
 少し浮腫んだ白い背中に、カリブの陽射しがつくる枝葉の影が揺れている。ビーチは眩しいほど明るくて騒がしいのに老人のまわりだけは静かだ。だから、気持ちよさそうな寝息が聞こえる。
 この人はどんな夢を見ているのか・・・。
 自分の人生を確かに生きたと言い切れる男の、自信に満ちた穏やかな寝顔を、馬渕はいつまでも見ていた。

終わり