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最悪の席 <後編>

 
 

「信仰がないなんて、とても信じられないわ」
 女が絡んできた。血の気の薄そうな見かけと違って、しつこい質らしい。
「神様がいなくても、なんとかやっているよ」
 もう1度、旨そうにウィスキーを流し込む。
「自分の力じゃなくて、すべて神のお導きによるのよ。信仰に目覚め、神と出会えたら、あなたの人生も、もっと輝くでしょうに」
「神様って、そんなに便利なものか?」
 神がかり女を黙らせたくなった。この調子で喋り続けられたらうるさくてかなわない。ロスまで、まだ6時間以上あるのだ。
「神の存在を、そんな風に功利的に考えてはいけないわ。神は、もっと大きな存在。神は・・・」
「でも、神は迷えるものを救ってくれたり、恵んでくれたりするんだろ?」
 意地の悪い目になっているのが自分でも分かる。
「そういう現世的な御利益もあるにはあるけど・・・」
「現実的な悩みを解決してくれたり、生きる指針を与えてくれたりもする?」
「そういうことは、その人の信心次第ね。あなたには、悩みがあるの?」
 肘掛けに体重を乗せ、女が親し気に身を寄せてきた。
「悩みのない人間なんていないだろ」
「あなたが、今直面している最大の悩みごとは何?もしよかったら話してみない?」
 子供をあやすような言い方だった。
「それを言ったら、あんたの神様は問題を解決してくれるのか?」
「すぐに解決できるかどうかは分からないけど、少なくとも、告白すればあなたが楽になるわ。そして、何かが変わる」
「なら、言うよ。俺が今直面している最大の問題は・・・」
 間を置いてから、女の薄っぺらな耳に口を近づけた。
「俺の最大の悩みは、実は、今、この席に座っていることなんだ。左に、人の顔もまともに見られないパソコン小僧がいて、右にあんたがいる。阿呆な日本人のガキと、御節介なアメリカ人の女。そんな2人に挟まれて身動きもとれないってことが、俺が今直面している最大の悩みなんだよ」
 女の目が点になり、顔が1度紅潮してからすぐに血の気を失った。女は窓の方へへばりつくようにして身を離し、黙り込んでしまった。
「あんたの言ったとおりだ。喋ったら楽になったよ。神様も捨てたもんじゃないな」
 止めを刺してから目を閉じた。今度は少しだけ眠れそうな気がした。

終わり