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地の果ての紅い灯り <後編>

 
 

 リオ・ガジェイゴスは、原野に孤立した寒々しい町だった。着いた時にはもう日が暮れかけていて、パンクの修理は明日までに待つことにした。
 運転手がいつも泊まる安宿に、恭介(きょうすけ)も部屋をとった。近くの食堂で夕食をすませると、一杯飲みに行こうと運転手に誘われた。熊のような運転手とは、すっかり旅は道連れになってしまった。運転手の方も話し相手が欲しいらしいし、恭介にしたって、こんな淋しい土地を1人でうろつくのは心細い。
 町外れのごみ捨て場のような暗がりに、小さなバーが数軒身を寄せ合う一画があった。入り口の赤い灯や、店の中から洩れて聞こえる音楽がなければ、そこは掘っ建て小屋の並ぶスラムにしか見えない。
「ここは地図にも載っていない場所だ。だから名前もない。仲間たちの間じゃあラス・カサスで通じるけどな」
 「ラス・カサス」を日本語に直訳すれば、「家々」ということになるのだろうか。なんとも即物的で、身も蓋もない名前だ。
 店の窓にへばりついた女たちが長く伸ばした爪や鍵でガラスをカチカチ叩き、足を止めた男たちの顔を中から懐中電灯で照らす。店の中は暗いから女たちの顔はよく見えない。ここでは、客の方が値踏みされるらしい。客にはアルゼンチンのトラック運転手の他に中国や韓国の船乗りが多く、日本人の漁師や商社マンも時折顔を見せるという。こんな地の果てでも、男たちは紅い灯を捜してうろついているのだ。
 運転手について一軒のバーに入った。馴染みらしく、カウンターにへばりついた運転手は女将(おかみ)らしい女と親しげに話し始めた。所在なく突っ立つ恭介に、30歳くらいの小肥りの女が声をかけてきた。
「韓国人?」
「違うよ、日本人だ」
「日本人はいいわね。私、日本人大好きよ」
 女は、媚びた笑みを浮かべて体をすり寄せてきた。
「この間、日本人の役人とビジネスマンが来たわよ。この近くに病院を建てるらしいわ。日本人は金持ちよね」
 利権絡みのODAか何かだろう。こんな所にまで、ビジネスとしての「政府開発援助」はフィールドを広げているらしい。
「船乗りなの?」
 女はしつこく訊いてくる。狙った獲物は逃さないといった目をしている。
「学生だよ。卒業前に、どうしてもパタゴニアを旅したかったんだ」
「こんな所に来たって何もないでしょうが」
「だからいいんだよ」
 恭介の言うことが理解できないらしく、女はきょとんとした顔になった。
 女がうっとおしくて、、恭介は1人で店を出た。運転手は、店の女とどこかにしけ込むつもりらしい。
 相変わらず強い西風が吹いていた。闇の奥で犬が吠えている。冷たい風に打たれて歩いていると、急に淋しくなった。
 振り向くと、いくつかの紅い灯が闇の中に滲んでいた。吹き晒しの原野の中で、そこだけにささやかな人の温もりがあった。恭介はポケットの中の金を指先で確かめ、紅い灯の方へ戻っていった。

終わり