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星へ走る者 <前編>

 
 

 モンゴルの首都、ウランバートルをスタートして5日目の昼過ぎだった。ゴビ砂漠の砂丘群を抜けるルート上でミスコースした挙げ句にクラッシュし、山崎(やまざき)とマシンは灼ける砂の上に叩きつけられた。
 幸いにも、体にもマシンにも大きなダメージはなかった。山崎はヘルメットを外し、背負ったキャメルバックの水をチューブで吸ってから、もう一度砂の上に大の字になった。天空に静止した太陽が世界を炙っている。直射日光下で40度はあるだろう。休んで息を整えてからでないと、半分砂に埋もれた重いバイクを起こす気にはなれない。山崎は、それほど疲れ切っていた。
 モンゴルを走るラリーにエントリーする夢を叶えるまでに3年かかった。コンピュータ・プログラミングの仕事で金を貯め、国内のメカニックと一緒にレースで走りの腕を磨き、友人のメカニックと一緒にレースマシンをつくった。電動マップホルダーやバイク搭載用のコンピュータ、ICOはもちろん、GPSやHIDランプまで装備したマシンをつくるのに100万円近くかかったが、夢のためだから勿体ないとは思わなかった。
 山崎はメカや電子機器に強く、然るべきテクノロジーを装備したマシンさえあれば完走できる自信があったが、しかしモンゴルの原野は予想を遥かに越えて荒々しかった。写真や映画で見るような大草原は1日で終わり、その後には湿地帯やガレ場が続いた。篠突くような冷たいスコールに幾度も打たれたし、その度にコースに選ばれた生活道路、ピストはぬかるみと化した。昨日の後半からはゴビ砂漠の砂丘越えが始まり、暑さと渇きで体力は消耗する一方だ。
 80人の日本人と4人のモンゴル人がエントリーしていたが、昨日までの4日間で20人以上の日本人がすでにリタイアーしている。山崎のマシンは、ICOもGPSもすでに使い物にならなくなっていて、だからミスコースした。動かなくなったハイテク機器ほど始末に悪いものはない。10日間で6000kmを走るラリーの、まだ中盤。完走する自信どころか、この砂丘群を抜けられるかどうかも不安になってきている。
 エンジン音が聞こえたので体を起こした。砂丘の彼方から、白いバイクが近づいてくる。風下の砂溜まりを避けてラインを選び、砂丘の尾根を舐めるように越えてくる走りはリズミカルでスムースだ。力みがなく、裸馬に跨って風を切るインディアンのように優雅に見える。
 それは、モンゴル人ライダーの1人だった。エントリーした4人の内、モンゴル人はまだ1人もリタイアーしていない。彼らのマシンは、マップホルダー以外に余計なものを一切装備していない。身につけている装具も、水を入れたジャグと簡単な工具と腕時計くらいのものだ。文字通り裸馬に跨ったインディアンのような彼らだが、しかし1人も脱落することなく徐々に順位を上げてきている。
 モンゴル人ライダーは山崎を一瞥して走り抜け、その先のひときわ高い砂丘の頂上まで一気に駆け上がってからバイクを止めた。モンゴル人ライダーはステップの上に仁王立ち、ゆっくりと周囲を見回した。
 休んで少しだけ回復した山崎はバイクを起こし、残っている力を振り絞って重いキックアームを蹴り下ろした。
 8回目のキックでエンジンが吠えた。その音を聞いたモンゴル人ライダーが砂丘の上から山崎に声をかけ、彼方のある一点を指差した。何か見つけたらしい。モンゴル人ライダーはついて来い と言うように左手を振り、それから砂丘を駆け下りていった。

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