ダクラは覇気のない町だった。胡散臭いアラブ商人やヨーロッパからの旅行者、モスグリーンのくたびれた軍服を着たモロッコ軍人などが往き交ってはいるが、誰の顔もどこか陰気で、息を潜めて歩いているように見える。マラケシュからバスを乗り継いで5日目。大西洋岸を南下するにつれて空気が重苦しくなってきたのは、未だ緊張の続くという西サハラが近づいてきたせいだろうか。
バスから降りた洋(ひろし)は、ガイドブックに載っている安宿を捜して歩いていた。宿に荷物を置いて身軽になってから、モーリタニア国境に向かうバスか乗り合いトラックを捜すつもりだ。モーリタニアに入れば、憧れのサハラを見ることができる。
役所か何からしい、ひときわ大きなコンクリートの建物の前に軍用車がずらり並んでいた。砂漠仕様の迷彩を施した装甲車もあれば、黒光りする機関銃を装備したジープもある。洋は、ウェストバッグから小さなデジタルカメラを出した。まずは引きで全体を撮り、それから寄りで1台1台を撮る。
夢中でシャッターを切り、あと1枚と思ってファインダーを覗いた時、肩を乱暴に叩かれた。振り向くと、白いシャツにコットンパンツの男が2人立っていた。柔和な顔はしているが、旅行者や町の人間とは異質な雰囲気を纏(まと)っている。2人共長身で、肌の色はそれほど濃くなく髭も生やしていない。アラブ系とヨーロッパ人との混血だろうか。
1人の男が胸のポケットから手帳のようなものを出して何か言ったが、フランス語だから意味が分からない。もう1人の男が、手振りでついて来いと言う。真っ昼間で人通りもあるし、もしかして警察か何かだったら言うとおりにするしかないと思い、仕方なく洋は男たちの後について歩いた。
男たちに連れてゆかれたのは、思ったとおり警察署だった。木製の階段を上り、誘導されて入った2階の奥の部屋で、背広を着た恰幅のいいモロッコ人が待っていた。洋は、窓を背にして大きな机に両肘をつくモロッコ人の前に座らされた。
背広のモロッコ人はデイパックを背負ったままの洋をしばし観察してから声をかけてきたが、やはりフランス語だから意味が分からない。「フランス語は分かりません」と英語で言うと、背広のモロッコ人は後ろに立っている男たちにアラビア語で何か指示した。
男の1人が無言で頷き、部屋を出ていった後に息苦しい静けさが残った。背広のモロッコ人は、珍しい生きものを見るような目で洋を見ている。背中には、後ろにもう1人の男の視線が張り付いている。