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四つの泉 <前編>

 
 

 モンテレイを後に北上を始めると空気が乾いてきた。高い木がなくなって枯れたような灌木ばかりになり、彼方から岩の山並みが立ち上がっている。メキシコ北部からアメリカ南西部にかけて広がる砂漠地帯に戻ってきたのだ。陽射しはジリジリ肌を灼くが、風は冷たい。沿道に並ぶ、ドクロのマークの標識が不気味だ。汚染物質でも埋められているのだろうか。
 モンテレイから西北に200キロ。チワワ砂漠に孤立した小さな町、モンクロバのモーテルに佐伯(さえき)は部屋をとった。まだ明るいが、無理して先を急ぐ旅でもない。次にまともな宿のありそうな国境の町まではまだ350キロあるし、アメリカには明日中に戻ればいい。
 部屋に荷物を置いた佐伯は再び車に乗って町を流し、レストランとバーが一緒になった店を見つけて中に入った。まだ早いせいか、客は1人もいない。バーやカウンターに座って煙草に火をつけると、厨房の中から小柄で腹の出た親父が出てきた。短く切り揃えたチョビ髭がユーモラスだ。
「クアトロ・シェネガス見物か?」
 注文も訊かず、親父が佐伯の顔を覗き込んだ。
「クアトロ・シェネガスって?」
「クアトロ・シェネガス、つまり、4つの泉だ。この先が自然保護区になっていて、この町に来る外国人は大概それが目当てだ。こんな所、他になんにもないもんな」
 注文したビールとタコチップが出てくるまでに5分ほどかかった。
「こんな砂漠の中に泉があるのか?」
 ビールで喉を湿らしてから訊いた。空気が乾いているせいか、ビールを甘く感じる。
「不思議だろ?アメリカ西部の、シェラネバダ山脈の雪解け水が地面の下を流れ、長い旅の末に砂漠に湧き出るって言う学者もいるが、それも定かじゃないんだ。要するに、謎なんだ。だから、自然保護になったんだよ」
 メキシコ政府が、一帯を自然保護区にしたのが8年前だという。「砂漠に閉ざされたガラパゴス諸島」とも呼ばれるクアトロ・シェネガス一帯は、孤立していながら安定した地質に恵まれているため、驚くほど多様な固有種が生きているらしい。
「泉に棲んでいる30種類の魚の内、8種類は世界中でここにしかいないし、360万年前から生きている世界最古の淡水珊瑚も発見されているんだ」
 親父は少し自慢気に言い、そして続けた。
「せっかくここまで来たんだから、見物していっちゃどうだい。話の種くらいにはなるぜ。今日は、もう暗くなるから、明日の朝行くといい。陽の出の頃だったら、特別なものも見られるかもしれんしな。早起きは三文の得って言うだろ」
 チョビ髭の親父が意味あり気にウィンクした。

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