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国境の町 <前編>

 
 

 タイの首都バンコクから南部最大の都市ハジャイまでは、夜行寝台列車で20時間かかった。マレー半島を縦走する国際列車に乗ることは、列車マニアの及川(おいかわ)の長い間の夢だった。
 今や、北部のチェンマイを抜いてタイ第2の都市へ発展したハジャイは華僑が支える商業都市で、高層ビルが建ち並ぶ街路は活気に満ちている。ハジャイは、タイの各地から人が集まる。お目当ては、店や屋台に山と積まれた商品だ。種類も数も多く、しかも値段はバンコクの3割から4割は安い。これほど沢山の商品がこれほど安く売られるのにはちゃんと理由がある。早い話が、それらの商品の殆どはシンガポールやマレーシアから国境を越えてくる密輸品なのだ。そんな闇経済を牛耳るのが華僑たちなのだと、及川はバンコクで聞いた。
 華僑の多くは収入を誤魔化し、税金を払わない。手にした富は宝石や黄金に換えて貯える。華僑は、土地や建物などの、動かせない財産には手をつけようとしない。政変や戦争が起こった時、それらが無に帰してしまうことを経験から知っているからだ。華僑は国というものを信じない。信じるのは自分の商才だけで、頼りにするのは、いつどこへでも持ち運べる隠し財産。そして、物や情報や人間の流通に便利な国境近くに拠点をつくりたがる。ハジャイは、タイという国の行く末とは別の運命を歩こうとしている都市なのかもしれない。
 ハジャイで昼食をとり、マレーシアとの国境まで行く列車に乗り換えた。タイ側の国境の町、スンガイコロクまでは4時間と少し。叩きつけるような午後のスコールを突いてマレー半島を南下すると、窓の外に鬱蒼としたジャングルが迫ってきた。モンスーン地帯から熱帯雨林地帯に入ったのだ。途中の駅から乗ってくる人々も、頭にスカーフを巻いたり、チャドルで顔を隠した色の黒い回教徒たちが目立っている。
 スンガイコロクに着いた時は、もう暗くなっていた。甘酸っぱい熱気が濃密な闇の中で澱んでいる。
 駅からタクシーに乗って驚いた。辺境の小さな町なのに、やたらと立派なホテルが多い。
 「ずい分ホテルがあるね」
 訊くと、あばた面の人相の悪い運転手が面倒そうに答えた。
 「ここには女が沢山いるからな。ここは、売春の町なんだ」
 「こんな所で商売になるの?」
 「マレーシアの男たちがやって来るんだよ。マレーシアは回教の国だから売春にはうるさい。だから、タイに来て遊ぶんだ。連中は、タイのことを野蛮な国だと馬鹿にしているが、女たちは開放的で奔放だ。心の底では馬鹿にしながら、でも楽しみたいから国境を越えて来る。ヨーロッパ人がアフリカへ行ったり、アメリカ人がメキシコへ行ったりするのと同じだよ」
 運転手は、顔に似合わずまっとうなことを言った。

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