海は凪(な)いでいる。風は止まり、海水は油のようにねっとりとして動かない。城山がこの海を知り、年に1、2度訪れるようになって7年が経つが、これほど穏やかで静かな朝は初めてだ。やはり、今日は特別な日なのだろうか。
フィジー共和国の本島、ビチレヴ島の北の珊瑚礁に浮かぶ小島から、さらに沖合の岩礁へボートで向かう。城山が舵をとるボートには75歳の母が乗り、その脇には骨砕処理されて粉末状になった父の遺骨を収めた桐の箱が置かれている、先導するもう1艇のボートには、フィジーに移住して45年になる時任、その妻セイニと城山の連れ合いの3人が乗っている。時任とセイニが早朝から摘んだ、ハイビスカスやプルメリアなどの色鮮やかな花を摘めた籠も一緒だ。
10年近く前の旅行中に時任と出会って意気投合した城山は、年に1、2度、時任が所有する小島を訪れてのんびり過ごすようになった。父と母を連れてきたこともある。2人は子供のように海で遊び、本島の市場を散策してスケッチし、南の世界の自然と人に浸って旅を満喫した。
ある夜、月光を反射して銀色に輝く海を見ていた父が城山に言った。
「ここがいいな。死んだら、ここに骨を撒いてくれ」
冗談とも本気ともつかない注文を聞いたのが4年前。その2年後に城山の父は胃癌の摘出手術を受け、この春、77歳になるのを待つようにして逝った。担当医師が書いた死亡診断書によれば、直接の死因は「胃癌」。2年前に発見、摘出された癌細胞の、胸膜や腹腔内への転移、再発による死だった。城山は、父がイメージしたとおりの方法で父を送ってやろうと決め、母と連れ合いと共にこの海に帰ってきたのだった。
澄んだ水の上を滑ってゆく。黙って風を受けている母の背中が、いつもより丸く見える。この場に父がいないことが不思議だ。悲しいとか淋しいではなく、ここに在(あ)るべきもの、在(あ)り続けたものが急に失(な)くなって間が抜けたような虚ろな感じ・・・。城山の父は焼かれて骨になり、さらに粉にされて桐の箱の中に収まっているのだが、もちろん、そこに父の体温など感じない。
青と緑の縞模様を見せて広がる海の先に、小さな砂の島が見えてきた。フィジーの人々が、「ナヌラウ・ブラ」と呼ぶ、引き潮の時に日に2度だけ姿を現す白砂の島だ。
父を、海に還す場所が近づいてきた。