城山は、生まれてからずっと父母と一緒に暮らしてきた。結婚してからの20数年間も、それは変わることがなかった。城山には、父母と別れて暮らす理由がなかったのだ。
城山は、青臭くて直截で、何より人間が好きな父を見ながら育った。説教臭いことや押しつけがましいことは何も言わなかったが、父は、その生き方そのもので城山に影響を与え続けた。
父は、サービス精神旺盛なエンターティナーでもあった。人を楽しませることで自分も楽しむタイプだった。議論と歌が好きで、祭と宴会には目の色を変えた。人を集め、その場を盛り上げる才能は天性のものなのだろうか。ともかく、城山の父のまわりにはいつも人が集まり、その輪の中心に父がいた。人なつこすぎてうっとうしく感じる時はあったが、そんな父を嫌いになったことは一度もない。だから、同じ家で51年間一緒に暮らすことができたのだ。
父は城山の前に立ちはだかる壁ではなく、城山と一緒に歩く旅の相棒のような存在だった。時には父の方が一歩前を歩き、時には城山の方が前に出る……。2人は、かなりうまくやってきた父子だった。
砂の島が近づき、羽根を休めていた海鳥たちが飛び立った。
ボートを止め、母を助けて島に上がる。360度、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海だ。彼方に、本島のビチレブの緑の山並み霞んで見える。
皆で記念の写真を撮り、2つに分けて和紙に包まれた父の骨を撒く。粉末状の骨は少し灰色がかり、気のせいか仄かに温かい。粉薬のような骨は城山の手から離れてサラサラと水に落ち、一瞬の内に溶けて海に消えてゆく。
ハイビスカスやプルメリアの花を撒くと、引き潮に運ばれて海の上に花の道ができた。赤や白や黄色い花たちが沖に向かって列をつくり、水に揺れながらゆっくり島から離れてゆく。
美しい絵のような光景だが、城山は別に感傷的にはならなかった。母も泣いていない。むしろ、ホッとした顔をしている。
3月に再入院して以来の40日間は、父の人生から改めて多くを教えられる日々だった。城山の人生の中で、これほど真剣に父のことを想い、父の顔を見続けた日々はなかった。死に至る40日間は、城山を育てた父が、朽ちてゆくその体そのもので城山に与えた、濃密で何ものにも代えがたい時間だった。城山は、この時間を共に過ごせたことを幸せだと思っている。だから悔いはない。そして今を、この先を存分に自分らしく生きてやろうと自分に言い聞かせる。
父の骨は海に溶け、花は水平線の彼方に消えていった。父は海に還ったのだ。
「どうだ、思いどおりにしてやったぞ」
城山は、空に向かってそう言いたい気分だった。力は抜けたが、しかし悲しくはなかった。むしろ清々しい気分だった。
「俺が死んだ時も、骨はここに撒いてくれよ」
城山が真顔で言うと、連れ合いも真顔で応えた。
「あなたが先に死ぬとはかぎらないじゃない」
それは、そうだ。家族や友人がみんな先に死に、自分の骨を撒いてくれる人が1人もいなくなったら最悪だ。海に還ることもできない。
──いいタイミングで死んだよな、親父……。
城山は、自分の中にいる父に声をかけた。