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No. 50

バイオタイド <後編>

 
 

 「アメリカ、一緒に行かないか?」
 良子の方を見ずに恭一が言った。思い切って言った割には弱い声だった。
 「え!?」
 良子が訊き返す。
 「俺と一緒にアメリカに行かないか?」
 今度は、良子の顔を見てはっきり言った。
 「一緒に行くって・・・」
 その意味をどう理解していいか分からない。プロポーズのつもりなのだろうか。惚けたように半開きになった良子の唇が、唐突に恭一の唇に塞がれた。ぎこちなくて乱暴なキスだった。
 「びっくりした・・・」
 色気のない呟きが洩れた。
 「怒った?」
 恭一が覗き込むと、良子はその目を見返して首を横に振った。
 「バイオタイドって本当なんだな」
 恭一が聞き馴れない言葉を口にした。
 「何?それ」
 良子が顔を上げる。
 「人間の体ってさ、98%が水分だろ。でさ、人間の感情も月の引力に影響されるらしいんだ。だから、満月の夜には殺人事件や交通事故が多いんだって。無意識の内に、みんな攻撃的になるらしいんだ。ほら、狼男の話あるだろ。それとか、子供が産まれたりする周期とかさ。みんな、月の引力が関係しているっていうんだ」
 恭一は早口で言った。だからどうしたのと訊きたそうな良子の目に気がついて、恭一は空を指差した。
 「今日って、満月なんだよ」
 東に連なる黒い稜線から、銀色のお盆のような月が昇ってくるところだった。
 遠くで微かに雷鳴が聞こえた。北の空が暗くなっている。山梨のあたりは雨かもしれない。
 「行こう!」
 恭一が立ち上がった。
 「明日、早いの?」
 良子は、まだ座っている。
 「明日は夕方から」
 そう答えた時、良子が何を言いたいのか朧気に分かった。
 「良子は?」
 「夜勤明けの2日間はお休み」
 「高速で雨に掴まったらやばいよな。良子のタイヤ、応急処置だし。どっかで泊まる?」
 どさくさ紛れでつけ足したような最後の言葉に、良子は無言で頷いた。
 「ともかく、下まで下りようぜ」
 恭一が伸ばした腕に掴まり、良子も立ち上がった。
 「エンブレとリアブレーキを使ってゆっくり行けよ」
 ヘルメットをつける良子に恭一が声をかける。良子は頷き、バイクに跨ってアームをキックした。良子のエンジン音に被さるように、恭一のエンジンも吠えた。
 二つの赤いテールランプが、もたれ合い、支え合うようにしながら闇の中を下っていった。

終わり