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No.52

シャコ貝の島 <前編>

 
 

 ヴァスアという妙な名前の島は、中央に標高600mほどの丘陵地帯を擁した細長い島だった。フィジー共和国の本島、ビチレヴからボートで2時間足らずだが、島を囲む珊瑚礁の地形があまりに複雑で、漁師たちも近づきたがらないらしい。
 乗合いボートから桟橋に下りると、岸の方から男が1人歩いてきた。足取りから見て、かなりの年寄りらしい。
 「首長に会いたいんですが」
 塩野谷が言うと、枯れた流木のような老人は小さく頷いた。
 「マヌーは昨日から本島へ行っていて、今晩帰ってくる」
 警戒を解いた老人は人なつこい目になった。
 「私はオペタイア。ゲストハウスに案内しよう」
 オペタイアという名の老人は、塩野谷を先導するように歩き始めた。足取りはおぼつかないが、背筋はまっすぐに伸びている。
 入江の左手に、20軒ほどの小さな家が海に向かって点在していた。淋しい集落で、老人と犬ばかりが目立って若者の姿がない。
 オペタイアが案内してくれたのは、集落の端の、グリーンのペンキで塗られたプレハブの家だった。ゲストハウスとは名ばかりの粗末な家だが、マットレスや洗面所は清潔そうだ。開け放った窓から流れ込む潮風がレースのカーテンを泳がせ、部屋の中は涼しい。
 「マヌーが戻ってきたら知らせに来る」
 オペタイアはぶっきら棒に言い、集落の方へ戻っていった。
 陽が沈んでも闇にはならなかった。満月に近い月の光はサーチライトのように明るく、海は銀色に煌めいている。
 灯油ランプに灯を入れて顔を上げた時、戸口に人が立っていたのでギョッとした。
 「マヌーが戻ってきた」
 オペタイアだった。この老人は気配を殺して歩けるらしい。
 オペタイアについて、マヌーの家まで歩いた。首長の家といっても、他と変わらぬ、
ブロックとセメントで固めた箱のように武骨で粗末な家だった。唯一他の家と違っているのは波板トタンの屋根からテレビアンテナが突き立っていることくらいか。
 「よく来た」
 居間の床に向き合って座るとマヌーが短く言った。縮れた髪には白いものが混ざり、目のまわりは皺だらけだ。立派な体格をしているが、齢は80近いだろう。
 台所の方から、カップを乗せたトレイを手にした女が居間に入ってきた。
 「女房のリシイだ」
 マヌーが紹介すると、リシイは「ブラ」と言ってからトレイを2人の間に置き、自分も床に腰を下ろした。50歳くらいだろうか。マヌーとリシイは、夫婦というより親子に見えた。

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