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No.53

魔境 <前編>

 
 

 アマゾン河の河口の港町、ベレンから中流のフリーポート、マナウスまではフェリーで6日かかった。なんて巨大な河だ。行けど進めど風景は少しも変わらず、時間さえ止まってしまったように感じる。だからマナウスの、まるで京浜工業地帯のような町並みが見えた時は驚くよりホッとした。ともかく、船は進んでいたらしい。
 フェリーから降りた国広(くにひろ)は、その足で日本のバイクメーカーの工場を捜した。フリーポートのマナウスには世界の企業が集まっている。生産や輸出入に税金がかからないから、ここを、南米向け商品の生産と流通の拠点にしているのだ。
 ジャングルの中の秋葉原のような町の外れに、日本の弱電機、家電メーカー30社が集まった広大な工業団地が広がっていた。白い工場群が整然と並び、工場と町を繋ぐバスがせわしなく行き来している。「緑の魔境」と呼ばれるアマゾンのど真ん中に、こんな町があるとは・・・。
 バイクメーカーの工員たちは、褐色の肌に玉のような汗を光らせたブラジル人たちだった。バイクのメンテナンスを頼むと、工員の1人が日本人のメカニックを呼んできた。主要なポストには日本人が駐在しているらしい。
 「大分、くだびれてますね」
 石山と名乗ったメカニックは、パタゴニアやパンパを駆け抜けてきた国広のバイクを慈しむような目で見た。
 「メンテナンスが終わるまで、工場長とコーヒーでも飲んで待っていて下さい」
 案内された部屋で、岡村という名の工場長が待っていた。こんな場所にいるから、日本の話に飢えているのだろう。
 「どうですか?南米の旅は」
 しかし、訊かれたのは旅のことだった。国広は、チリやアルゼンチンを駆け抜けてきた2ヵ月ほどの旅のエピソードをいくつか話した。目の優しい岡村は、国広の話を興味深げに聞いていた。日本の話には興味がないらしい。
 岡村の後ろの壁に、額入りの写真が飾られていた。トラックの荷台に、胴のあたりが異様に脹らんだ巨大な蛇が乗せられている写真だ。
 「何ですか?それ」
 国広が写真を指差すと、岡村は表情を変えず、淡々と説明した。
 「人を呑み込んだアナコンダです。昼寝していた農夫を呑み込んだらしいですな」
 「で、その人はどうなりました?」
 「腹を裂いた時は、もう半分ほど溶けていたそうですよ」
 岡村は涼しい顔をしている。
 「アマゾンの奥地ですか?」
 「いやいや、この工場のすぐ裏の出来事です」
 やはり、ここはとんでもない場所らしい。

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