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No. 53

魔境 <後編>

 
 

 コーヒーを御馳走になり、工場の中を案内してもらった。ラインでは、日本では走っていないバイクが組み立てられていた。中南米向けの中型オフロードバイクだ。
 工場の裏手に、ジャングルを切り拓いてつくったテストコースがあった。鬱蒼とした緑の只中で、小さなサーキットのようなコースが陽に炙られている。
 「時々、ここを開放して草レースをやるんです。地元の連中には大人気ですよ」
 岡村は、眩しそうに目を細めて言う。
 「さっきのアナコンダが出たのは、このあたりですか?」
 「いや、それはもうちょっと奥の、川沿いの野っ原です」
 国広は巨大な蛇のことが気になって仕方ない。
 「ここから製品を運ぶのは大変でしょ?」
 「そうですね。それが1番悩みの種ですね。殆どの製品は船で運ぶんですが、それが途中でごっそりやられる」
 「盗まれるんですか?」
 「つい最近も、家電メーカーさんがやられました。テレビを500台詰め込んだコンテナが、丸ごと船から消えたんです。見事なもんですよ」
 岡村は他人(ひと)事のように言う。
 「警察は捜索しないんですか?」
 「この、掴みどころもないようなアマゾンの中で失せものを捜すなんて誰にもできませんよ。それに第1、警察もグルかもしれない」
 岡村は肩を竦めて笑った。諦めたようにも、達観したようにも見える笑顔だった。
 こんな場所で仕事をすることにうんざりしているのかと思ったが、しかし岡村の口から出たのは意外な言葉だった。
 「でもね、ここはいい所ですよ。人間が、みんな正直に生きていますからね」
 一人言のようにも聞こえた。
 「単身赴任の者には色恋沙汰も多くてね。ここでは、男と女も素直に生きているでしょ。人生、つまるところ男と女の物語ですからね。それが人間の原点じゃないですか。生きる活力の源でしょ。
 私の任期はあと1年ですけど、いつの日か、ここに戻ってきたいと思いますね。ここで仕事した者は、みんなそう言いますよ。不思議ですね。ここにいると、生きているって気がするんですよ」
 その時、陽に炙られたテストコースを、何かの生きものがゆっくり横切った。四つん這いで歩いているが、両腕が異様に長い。
 「何ですか?あれ」
 「ナマケモノです。ジャングルを拓いてコースをつくったので、森から森へ移る時はどうしてもコースを横切らなくちゃならないんです。彼らにとってはいい迷惑ですな。ハハハハハ……」
 笑った時の岡村は、すっかりブラジルの顔になっていた。

終わり