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No.54

だるま男 <前編>

 
 

 大介(だいすけ)は、アマゾン河口に近い港町、ベレンの町中のごみ捨て場から拾い集めてきたようなテーブルと椅子を並べたカフェでマリオを待っていた。50メートルほど先の、人がぶつかるようにして行き交う十字路は陽に炙られているが、マンゴーの大樹の下のカフェはいく分涼しい。
 このくそ暑い、泥水と魚の臭いが充満した町に、よりによってキリストが産まれた町の名をつけるなんて……。
 甘苦いガラナジュースが喉を通った時、昨日、サンパウロからの飛行機の中でマリオから聞いた話を思い出した。ベツレヘムをポルトガル語に置き換えるとベレンになる。この町でキリストが産まれていたら、東方の博士たちは灼けつく砂漠ではなく、生命に噎せ返る熱帯雨林を越えて贈りものを届けねばならなかっただろうとマリオは言った。この町でキリストが産まれていたら、今の世界は一体どうなっていただろうか。
 「カフェー!カフェー!」
 十字路の雑踏の方から甲高い声が聞こえた。その声は、地鳴りのような足音やざわめきを突き抜けて届いてくる。癇癪持ちの老人のように、歯医者の前で泣き喚く子供のように癇に障る声だ。
 十字路を行き交う人間たちの間から、小さな人間がちらちら見えた。黒光りする顔が歩く人間たちの股のあたりにある。四方から押し寄せる人の流れの中で、十字路の真ん中にいるそいつだけが動かない。動かず、花林糖のように黒くて細い両腕を広げて、「カフェー!カフェー!」と叫んでいる。
 背は低いが、子供ではなかった。大人の顔をしているが、小人でもなかった。黒いコーヒー売りは、溶けるほど熱くなった地面から生えているように見えた。大介は目を疑った。コーヒー売りの体は臍のあたりから下がない。
 「ダイスケ!」
 背中を、馴れ馴れしい声に小突かれた。振り向くと日系三世のマリオが右手を挙げた。知り合って1週間も経たないのに兄のような顔をしている。10歳近く齢上だし、ポルトガル語ができるから仕方ないが、あまり馴れ馴れしくされると舐められているようで不愉快だ。
 「何、ボーッとしてた。バテたか?」
 流暢な日本語で言いながら、マリオは大介と向き合って座った。テーブルの上のガラナジュースの瓶を掴み、大介の飲み残しを平気な顔で飲み干してしまう。
 「彼を見てたんだ。あの、コーヒー売り」
 大介が、マリオの斜め後ろの方を指差した。身を捩って十字路の方を見たマリオの目が、雑踏の真ん中で叫び続けるコーヒー売りに止まった。
 「体が半分しかないんだな」
 冷淡な言い方だった。
 「あんな体で、よく生きてるね」
 「アマゾンだからな、ここは。何が生きてたって不思議じゃないさ」
 向き直ったマリオは訳知り顔をしていた。大介は上半身だけのコーヒー売りから目が離せない。
 「昔、爺さんから聞いたことがある」
 マリオは大介を覗き込み、その目を自分の方に向けさせた。
 「アマゾンの奥の村で、上半身と下半身が逆の方を向いている男を見たって」
 「どういうこと?」
 「腹の所で体が捩れていて、上半身と下半身がま反対の方を向いているらしいんだ。で、上半身と下半身はいつも逆の方へ歩こうとするから身動きが取れず、何年経ってもそいつは木みたいに同じ場所に立っていたって言ってたよ」
 ウィンクしてマリオが笑った。からかわれたと知って腹が立ったが、大介は感情を表に出さなかった。こんな奴でも唯一の頼りなのだ。

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