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No. 54

だるま男 <後編>

 
 

 河の方から生温かい風が吹いてくる。しかし、アマゾンのことを未だに河とは思えない。どう見たって海だ。
 本流が6770キロで、全体の河川延長は4万94キロ。その水量は地球上の淡水の5分の1で、8つの国に跨る流域には日本が19箇収まり、大洋のような熱帯雨林が地球上の酸素の3分の1を賄っていると言われてもなんの実感も湧かない。
 ベレンからすぐの河口の幅は330キロ。そこに浮かぶ島は九州より大きく、ヨーロッパからの人間は「スイスより大きな島」と呼ぶという。しかし、そんなものがどうして島なのだ。少なくとも、日本では九州のことを島とは呼ばない。
 「ほんにアマゾンは大女、どこが乳やらあそこやら」とマリオは言ったが、大介には面白くもなんともなかった。その広さと深さは掴みどころがなく、人の想像力を遥かに超えている。
 「待てー!この野郎!」
 コーヒー売りの絶叫が聞こえた。十字路の方を見ると、毛を逆立てた鼠のような子供が3人、雑踏を縫って走るのが見えた。1人が、煤で黒くなったポットのようなものを掴んでいる。コーヒー売りから盗んだらしい。
 「待てー、泥棒野郎!ぶっ殺すぞー!!」
 コーヒー売りは喉から血の出るような声で叫ぶが、十字路の人の流れは止まらない。黒い男も褐色の女も、誰も何事もなかったような顔で歩いている。
 「覚えてろよー!馬鹿にしやがって!とっ捕まえたら、ただじゃおかないぞ!!」
 鼠たちはすぐに雑踏の中に消えたが、下半身のないコーヒー売りは狂ったように叫び続けている。
 「あの体で、どうやってとっ捕まえるんだよ」
 マリオは鼻で嗤った。
 なんて町だ。この町に、よりによってキリストが産まれた町の名をつけるなんて……。
 大介は、両腕を振り回しながら叫ぶ、だるまのようなコーヒー売りを見ていた。

終わり