東京、神奈川、千葉、埼玉を合わせたよりもっと広いという、とてつもないスケールのセレンゲティ国立公園に入った。1人2500円の通行料を払って道を進めば、地平線まで広がる草の海に何万というヌーとシマウマの群。野生の命に埋め尽くされた360度のパノラマに圧倒される。
日没前に指定されたキャンプ場に辿り着き、タンザニア人のガイドや、マシンガンを手にしたレンジャーたちと焚き火を囲んでくつろぐ。
食べものの匂いを嗅ぎつけて、ハイエナたちが闇の中をうろついている。姿は見えないが、その独特の鳴き声がある時は遠くに、ある時はすぐ近くの闇の中から聞こえる。それに、キャンプ場から50メートルと離れていない岩陰からもっと大型の獣の、腹から絞り出すような唸り声が時々聞こえたりもする。
「だんだん近づいてくるね」
「バッファローだ」
レンジャーが言ったのに合わせたように、唸り声が止まった。気がつけばハイエナたちもおとなしくなっている。静寂の中で、焚き火の爆ぜる音だけが聞こえる。
何かの気配を感じたのか、レンジャーがマシンガンを手元に引き寄せ、大型のマグライトを闇に向けた。白光色の中に浮かびあがったのはライオンだった。鬣(たてがみ)豊かなライオンの体は2メートル以上あり、村木たちとの距離は20メートルも離れていない。つまり、すぐ目の前に本物のライオンがいた。
レンジャーもガイドも無言でライオンを見詰めている。逃げ出したかったが、体が金縛りに合ったように硬直している。自分の、唾を飲み込む音が聞こえた。
とてつもなく長い時間に感じたが、実際は1分も経っていなかっただろう。ライオンは村木たちには一瞥もくれずに、悠然と歩いて茂みの中に消えたが怖気が止まらない。テントに入ってからも、唸り声や草を踏む音が聞こえる度にドキッとする。身のすくむ想いというのは、こういうことを言うのだろう。
野生の命に囲まれて、結局朝まで眠れなかった。村木は、生命の星で生きていた。