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ウランウデ → ペトロフスク・ザバイカリスキー |
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ウランウデから、ペトロフスク・ザバイカリスキーという、舌を噛みそうな町までの210キロ。道は、シベリア鉄道のルートに付かず離れずしながら針葉樹と白樺の林を断ち割ってどこまでも延びていく。寒くて薄暗く、気が滅入るような天気。いかにも晩秋のシベリアである。日本なら充分に冬の風景だが。
シベリアの原野とはいえ、意外と集落が多い。冷気と薄闇に封じ込められたような集落の人々は、一体何を生業としているのだろう。林業、牧畜、鉄道関係、道路工事・・・思いつくのはそんなところだ。
人影は殆どない。中世のゴーストタウンのような集落を繋いで道は北へと延びていく。
日没前に舌を噛みそうな町に着いて刑務所のような宿で荷を解き、高台に広がる墓地を歩く。
見知らぬ村や町に着いて余裕がある時は、なるべく市場や墓地を歩くようにしている。市場は、今を生きている人々の表情と出会えるし、墓地では、かつてその土地に生きた人々の声が聞こえるような気がする。墓地は死んだ人間を埋める場所ではなく、死んだ人間と、その人生と出会う場所だと私は思う。墓地は、様々なことを問いかけてくる。例えば、今お前は何処にいて、何をしているのか?そんな風に生きていていいのか?とか。
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なんとも洒落た窓枠の家々が連なる、ペロドフスクザバイカリスキーの村を散策する戸井 |
夜、刑務所のような宿の窓から、ウオッカを舐めながら死んだような町を見る。
すべては闇に封じ込められ、何も動かず、音もない。
しかし、ここでも人は暮らしを立てているのだ。人がいると思えばこそ、余計に淋しさや孤独が身に迫ってくる。
淋しさ、孤独、恐怖、空腹や渇き、さらには暑さや寒さ、疲れや痛み・・・。
旅は、忘れていたことを思い出させてくれる。
しつこいが、旅はこれ以上はない学校である。
可愛い子こそ旅に出さねばいけない。