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ネルチンスク → ? → ネルチンスク |
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やっとの思いで幹線道路に出るも、雪はさらに激しく降り始め、その上風まで出てきた。つまり、吹雪になってきた。それでも進もうと30キロほど走るが、状況は悪くなるばかり。
もう、あたりはブリザードのようで、真剣に進退を考え始める。ちょうどその時、「止まって、どうするか見当しましょう」という、車の宮崎からの無線。で、近くのカフェに逃げ込んで皆で考える。
無理してでも前に進み、この雪と氷から逃げるか?
1度戻って、天気の回復を待つか?
前に進んでも、雪と氷から逃れられるとは限らない。もっと状況が悪くなって、それこそ戻ることも出来なくなったら最悪だ。雪と氷に封じ込められて夜になったら、多分凍死だろう。人はいないし、勿論、緊急電話も救急車も来ない。今、私達がいるのはそういう世界なのだ。
では、戻ったらいいのか? 天気は回復するとは限らない。こまま降り続いたら、いつまで経ってもこの世界から出られなくなってしまう・・・。
この先、道はまだ北上を続け、最高北緯は樺太より北に達する。北海道より遙かに北の、カムチャッカ半島の真ん中あたりだ。さらには、ハバロフスクの手前までは延々と山間部が続く。その距離、およそ1800キロ。日本列島縦断の距離と同じときた。この天候では、とてもその距離をバイクで突破する自信はない。
協議の結果、ネルチンスクの町まで戻り、バイクを乗せてくれるトラックを探すことに決める。悔しいが仕方がない。格好つけている場合ではないのだ。
よく、進むことより戻ることのほうが勇気がいると言われるが、まったくその通り。こういう時に、普段格好つけている自分が試されてしまう。
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カチカチの路面に悪くなる一方の視界、そして度重なる転倒に放心状態の戸井 |
戻ると簡単に言っても、これがまた大変。
雪はさらに積もり、来た時より状況はさらに悪くなっている。で、再び転倒。今度は、右のバックミラーを根本から折ってしまう。
体力の消耗激しく、最後の20キロを宮崎と交替。宮崎にしてからが、両足を地面に付きながら、恐る恐るの鰐走り。それでも、後輪が滑ってバイクが斜めになる。
ネルチンスクの町に戻ったのが午後4時。往復100キロの僅かな距離に5時間かかったことになる。
昨夜の宿の隣の、車の修理屋のあんちゃんたちに相談。電話で、個人営業のトラックドライバーを捜して貰う。
やって来たアンドレ(45歳)は、気のよさそうな男で、峠を越えるまでの1250キロ、往復2500キロを50000ロシア・ルーブル(約、170000円)でどうだと言う。そこを40000ルーブル(約、140000円)にまけてもらって交渉成立。今日はもう遅いから、明日の朝、出発することに決める。
こんな風に書くと、さも私達がロシア語堪能に思えるかもしれないが、勿論そんなことは全然ない。会話帳と辞書片手の悪戦苦闘。最後の手段は私の描く絵まで駆使しての結果である。
ロシア人は、驚くほど英語ができない。というより、覚える気も話す気もない。それでも、必死になればかなり細かいことまでコミュニケーションできるもの。少し大袈裟かもしれないが、生きるか死ぬかの時に格好なんかはつけていられない。こういう経験はこれまでにも幾度もあるが、要は必死さである。それも、旅に出ればこそ得る教訓。
その夜、雪は止んだが冷え込みはさらにきつく、路面の氷は溶けそうにない。闇の奥で風が唸っている。なるようになれと、ウオッカを呷って寝てしまう。